
こんにちは、サノです。
最近、70年代~80年代のポップスに惹かれます。
私はその頃生まれていないか、生まれていても幼かったため、懐古主義とは
違うのですが、当時の歌が復刻版やリメイク版で流れていると、自然と聴き入
ってしまいます。
特に気になるのはその歌詞です。作詞家にもよると思いますが、情景の変化
や気持ちの動きを、短い言葉の中に丁寧に織り込んでいる気がして、まるで
映画を観ているような気分になります。
『心ゆれる 秋になって 涙もろい私
青春は こわれもの 愛しても 傷つき
青春は 忘れもの 過ぎてから 気がつく』
(岩崎宏美『思秋期』 詞:阿久悠 曲:三木 たかし)
上の詞は、お亡くなりになった阿久悠氏の作品です。たった三行の中に、
作詞から30年が経過した今も変わらない、青春のエッセンス(本質的なもの)
が織り込まれている気がします。
阿久悠氏については、没後半年を経た今も、様々な書籍にて、特集が組まれて
いますが、それらにて語られているエピソードの中で、特に興味をそそられたのが、
「原稿用紙に縦書きで歌詞を書いていた」
ことです。これは、昨年お亡くなりになるまで、終始一貫していたとのことです。
アナログ中心の時代はとうの昔に過ぎ去り、今はデジタル優勢の時代ですが、
その中で敢えてアナログに留まることで、良い詞が書けるかどうかは、私には
判断がつきません。しかし、確かだと思うことは、アナログの一筆一筆には、
気軽に訂正できるデジタル環境には無い、独特の緊張感が存在し、そこに
は強い責任感が生まれるのではないか、ということです。
私どもは、インターネットやパソコンが普及する以前の創業ですが、今は受注から
納品までの大半がデジタル化しています。その中で、原稿用紙に一筆一筆を
書き込むくらいの緊張感と、責任感を持って作業しているかどうかを、十分に自省
して、業務に臨みたいと思います。
誰にもわかりやすい、魂と責任感の込められた翻訳をお届けします。